じゃがいも少年のエンタメHISTORY

神戸生まれ神戸育ちの丸坊主いがぐり中学生が後にバンドでメジャーデビューし、バンド解散後、芸能事務所の音楽制作スタッフとして拾われ、大御所芸能人Kの運転手兼付き人を経て、敏腕!?マネージャーになるまでの思い出と、そんなじゃがいも少年から見た当時の特殊な芸能界の裏側なんかの記録を綴ります。

ライブハウス

1993年の初夏、初めてのレコーディングで作ったバンドのデモテープと素人感丸出しのバンドプロフィール写真を当時のエンタメ系雑誌「ぴあ」とか「Lマガジン」などのライブハウスコーナーを参考にしながら、神戸にあるライブハウスにじゃがいも少年が持って行くことに。

 

当時の神戸にはチキンジョージという有名なライブハウスが君臨しており、名立たるアーティストがそこでLIVEを繰り広げていたのですが、当然高校卒業したてのアマチュアバンドがチキンジョージのステージにいきなり立てるはずもなく、まずは庶民的なライブハウスからということで、神戸三ノ宮のトアロード沿いの地下にあったSHOUTと新開地にオープンしたGIGというライブハウスに持ち込むことに。

 

ライブハウスのオーソドックスなシステムとしては、持ち込まれたデモテープやプロフィールを店長なりブッキング担当者が吟味し、似た様なジャンルだったり、バランスを見ながら4〜5バンド程を同じ日にブッキングし、チケットを発行し、それぞれのバンドにノルマを課し、1枚平均1,500円程のチケットを捌かせ、20枚〜30枚程のノルマ分を徴収し、ドリンク代500円を別途当日来るお客さんから徴収し、経営していくというのが主流でした。

 

つまり1,500円×ノルマ30枚の場合、チケットが売れようが売れまいが45,000円をライブハウス側に支払ってバンドは出演するのです。

 

そしてノルマ以上捌くことが出来ると、越えた分の50パーセントぐらいをチャージバックという形でバンドに還元、いわゆるバンドのギャランティになるというわけです。

 

1,500円のチケットを30人が買ってくれればいいのですが、高校卒業したてのアマチュアバンドにそんな集客能力がある訳もなく、必死で友達や知り合いに声を掛け、チケット代を割り引き、ノルマに届かない分は自分達で補填するのです。

 

当時の高校卒業したての若者達からすると1,500円は大金なので、とても定価で友達に買ってくれとは言えず、じゃがいも少年達は最初はチケット代を500円で販売していました。

せいぜい20名程の知り合いにチケットを買ってもらうのがやっとなので当然赤字で、それ以降LIVEの日は一人当たり約8,000円ほどの出費があるイベントとして認識されることになりました。