じゃがいも少年のエンタメHISTORY

神戸生まれ神戸育ちの丸坊主いがぐり中学生が後にバンドでメジャーデビューし、バンド解散後、芸能事務所の音楽制作スタッフとして拾われ、大御所芸能人Kの運転手兼付き人を経て、敏腕!?マネージャーになるまでの思い出と、そんなじゃがいも少年から見た当時の特殊な芸能界の裏側なんかの記録を綴ります。

対バン

ライブハウスに出演する際には自分達だけではお客さんをたくさん呼べないのと、ライブハウス側も商売にならないので、他の出演バンド4~5組と順番にステージに立つことになり、これを「対バン」と呼んでいました。

 

おそらくバンド対バンドというのが語源なのですが、大体4~5組程のジャンルが近いようなバンドをライブハウス側が組み合わせ、組んでいくのですが、1組だけでは少ないお客さんも5組のバンドのお客さんを合わせればそれなりの集客になるというのと、他のバンドが呼んだお客さんに自分達のバンドを気に入ってもらえれば、自分達の新規客になってもらえるかもしれないというのがメリットです。

 

各バンドの持ち時間は転換時間含めだいたい40分前後。

そのパフォーマンスの間に新規客を獲得しなければならないのですが、お客さんからすると目当てのバンド以外はただの無駄な時間となると捉える方も多く、バンドのメンバーに出演時間の詳細を聞いて、その時間にライブハウスに入って来て、終わったらそそくさと外に出てしまうということもしょっちゅうでした。

それでもせっかくだから他のバンドも1~2曲見てみようかな?と残る少数派に向けて、自分達の音楽をアピールするという新規客獲得はバンドにとって最も大変な作業でした。

 

じゃがいも少年達のバンドももちろん対バン形式でライブハウスと出演日程の調整をするのですが、近いジャンルを集めた方がお客さんの指向も揃え易いのですが、組み合わせも思うようにいかないのか、ビジュアル系バンドやヘビメタ系バンドなど、じゃがいも少年達のジャンルとは明らかに違う対バンで構成されていることもよくありました。

 

当時18、19歳のじゃがいも少年達からすると他のバンドはみんなお兄さんで、客席で小さくなっているとお兄さんバンド達がしゃべりかけて来てくれ、かわいがってくれたりしました。

中には事務所に所属しているというセミプロみたいなバンドもいて、事務所の社長が見に来るからがんばらなアカンみたいなことを言っていて、単純にうおーすげー!と憧れるじゃがいも少年達。

 

全国に数々あるライブハウスに毎日の様に4~5組のアマチュアバンドが出演していることになり、かなりのバンド人口がいた時代でした。