じゃがいも少年のエンタメHISTORY

神戸生まれ神戸育ちの丸坊主いがぐり中学生が後にバンドでメジャーデビューし、バンド解散後、芸能事務所の音楽制作スタッフとして拾われ、大御所芸能人Kの運転手兼付き人を経て、敏腕!?マネージャーになるまでの思い出と、そんなじゃがいも少年から見た当時の特殊な芸能界の裏側なんかの記録を綴ります。

高校生LIVE

バンドのお披露目の場、すなわちLIVEをやりたくて仕方なかったじゃがいも少年は積極的にLIVEを企画しました。

 

2回目となる音楽室LIVEでは全レパートリーを演奏し、高校2年最後の終業式の日にはOのバンドの写真が入口に貼り出されているライブハウスを借りて、他のバンドを誘い、自分達のバンドがトリ(最後の出番)を務めるLIVEイベントの企画・運営を行い、高校3年生の夏休み前には文化センターの大ホールを借りてLIVEイベントを行いました。

 

画用紙を切ってチケットを作ったり、LIVE当日のタイムスケジュールを組んだり、会場代を回収したり、自分がステージに立ちたい一心でLIVEイベントを仕切るのが全く苦ではなかったじゃがいも少年。

 

高校生のLIVEイベントではとにかくお金の回収が大事で、当時1日約11万円もする会場代を出演者の頭数できっちり割り、それをバンド毎に回収していきます。

 

チケット代なんてたかだか200〜500円程度なので充てには出来ず、11万円を全出演4バンド18人前後で割って1人約6,000円程度を徴収するのですが、高校生にとってはかなり大金なので、LIVE当日は楽しい替わりに大金が吹っ飛ぶというのが当時の常識でした。

 

会場を押さえたり、チケットやタイムテーブルを作ったりと出演する以外に手間がかかるのですが、じゃがいも少年には運営手数料を取るという発想がなかった為、全員同じ条件で自分もきっちり割り勘を払い、時には出演順をジャンケンで決め、負けてトップバッターになってもしょうがないと受け入れる状態でした。

 

留年した1コ上の怖い同級生なんかもバンドに参加しており、あーだこーだイチャモンを付けて来るのを渋々受け入れながら、LIVEを運営していったじゃがいも少年。
それでもやっぱりバンドが楽しくて仕方なく、部活(水泳部)にバンドに青春を謳歌したのでした。