じゃがいも少年のエンタメHISTORY

神戸生まれ神戸育ちの丸坊主いがぐり中学生が後にバンドでメジャーデビューし、バンド解散後、芸能事務所の音楽制作スタッフとして拾われ、大御所芸能人Kの運転手兼付き人を経て、敏腕!?マネージャーになるまでの思い出と、そんなじゃがいも少年から見た当時の特殊な芸能界の裏側なんかの記録を綴ります。

プロを目指そう

Oが元々中学から組んでいたバンドは音楽性の違いなどで解散し、Oとじゃがいも少年はBOOWYのコピー中心のバンド活動の傍ら、Oの作るオリジナル曲を音源にするにはどうすればいいか考え、マルチトラックレコーダー(通称MTR)と呼ばれる録音機器と、ドラムパターンなどをプログラミング出来るシーケンサーという機器をじゃがいも少年が居酒屋の皿洗いのバイトで稼いだお金で購入し、研究しました。

 

MTRとは当時カセットテープを4つのトラック(チャンネル)に分けて多重録音出来る機械で、例えば1トラック目にはドラムを録音し、2トラック目にはベース、3トラック目にはギターというように順番に録音を重ねていき、全てのトラックを同時に流せば一つの曲になるという家庭用のレコーディング機材で、それから一気に目覚ましく進化したレコーディング技術の走りとなる機械でした。

 

シーケンサーはYAMAHAのQY10という機械で当時のミュージシャンはこのシリーズを知らない者はいないと言っても過言ではない程メジャーな機材で、ドラムパターンをはじめ、シンセサイザー的な音を組み合わせて曲も作れてしまう優秀な代物でしたが、じゃがいも少年は主にMTRに録音するドラムマシンとして使用していました。

 

現代の様にパソコンソフトを使ってモニター上で簡単に切り貼りしたりすることが出来ず、例えばAメロをもう少し長くしたいとなると、変更点からプログラムし直さなければならず、非常に面倒臭くて時間のかかる作業になってしまうのですが、Oの作るオリジナル曲を録音したい一心で、コツコツとがんばるじゃがいも少年。

 

高校3年の夏が終わり、部活も引退し時間が出来たじゃがいも少年は、放課後や休日にはOの家にそれらの機材とベースを運びこんでベースやギターを録音してカラオケを作りました。

 

三ノ宮の楽器屋にバンドメンバー募集の張り紙をしたり、雑誌「バンドやろーぜ!」にメンバー募集の投稿をしたりしながら、Oとじゃがいも少年は「高校を卒業したらプロを目指そう!」とお互いに意識し、確認し合うようになっていきました。